2005年 09月 25日
第1回 塾屋さんのホンネ |
[中学受験を応援します] —「12歳の敗れざる青春へ」
安本 満(龍馬進学研究会主宰)
その子は、一緒に受けた2人の友人と最後の合格発表に来ていた。今まで発表のあった学校はすべて落ちている。一緒にいる3人の中で自分が一番できないことも自覚していた。「あったー!」1人の友人が顔をクシャクシャにして叫ぶ。「ない…」もう1人が信じられないふうで、くずれ落ちそうに嗚咽する。彼女自身は、自分の番号が【当然】ないことを確認しながら、涙が出ない自分にとまどいを覚えていた。
1人になった帰りのバスの中…。急にポロポロ涙が流れ出すのを彼女は止めることができなかった、と言う。「2人は本当に頑張っていたから泣けたんだ。それに比べて、2人と同じ所を受けたいと思っただけで、自分は全然勉強なんて怠けていた。結果がどっちになったって、というより落ちるとわかっていたから、ちっとも悔しくなかった。だから、わたし1人だけ泣けなかったんだ」。そう思った時、自分の情けなさに涙があふれてきた。「両親に何度言われても、ただうるさいなあと思うだけで、口答えばかりして勉強しようとしなかった自分——。本当に心から両親にごめんなさい、と思いました」。
彼女は、真剣に高校受験に取り組み、第1志望の県立千葉高校に合格。一橋大学を卒業した。
その知らせが届いた時、誰もが驚き、言葉を失った。彼はクラスの誰よりもできた。彼が開成中学に合格するのを疑う者はいなかった。2番の子も3番の子も4番の子もみんな合格した。しかし、彼だけは落ちた。僕は彼らと約束していた。「たとえどんな結果になろうと、必ず自分で報告に来い」と——。その約束を守るために、彼がこっちに向かっているとの電話をお母さんからもらった。泣きくずれて発表会場の地面のコンクリートに拳(こぶし)と頭を打ちつけたという。
「先生——」「おう——」。明るく自然に。「やられたか——」「はい」気丈に答える。「人間はなあ、やられた方が意味があることの方が多いんだぞ」「——」「ほかのみんなは合格した。おまえは入って当然なのに落ちた。ということは、神様がおまえは開成に行くべきではないことを教えてくれたんだ。開成なんかじゃなく、おまえを選ぶことができた学校こそがおまえが幸せになる学校だという意味なんだ」。唇をかみしめて、彼はじっと僕の目をみつめていた。
そこへ、開成に合格した同級生がご家族と共に御礼に来た。教室スタッフの応対で、それと悟った彼の目が泳いだ。「あいつにちゃんとおめでとうって言って来い!」「え?」「友達が合格したんだ。祝福してやるのは当たり前じゃないか」僕は彼を連れ出した。驚いたのは合格した方のご家族だった。彼は歩み寄って、友人の手を両手でつかみ、そして叫んだ。「おめでとう!おめでとう!おめでとう——!」つかんだ両手を激しく振った拍子に、彼の両眼から涙がほとばり散った。友人のご家族はその場で泣き出された——。
「心がバラバラのままでした。でも、もしあの時彼を祝福することができず、隠れていたなら、僕はもっとずっと不合格をひきずっていたように思います。あれが僕の原点でした。今、握手できた自分のこと、カッコ良かったと思います。先生はヒデェけど——」。
彼は今、海城高校に通っている。学内で3番と下らないそうだ。学園祭の実行委員長をやりながら。来春、彼は大学入試を迎える。(追記:今春〈2005年〉、見事第一志望の東大理Ⅰ合格。あの日撮った僕との“落ちた記念ツーショット写真”が6年間机の上にあったそうだ。)
僕の話——。その時の僕はこの世で一番不幸な顔をしていた。何人かの生徒の受験が思うようにいかなかった。周囲の期待とギャップのある結果に逃げ出したい気分になっていただけなのだろう。足を引っぱる俗物の同僚もいた。そいつを張り飛ばして八ツ当たりもした。(そいつは男のクセに泣きやがった。)
そんな時だった。家でも不機嫌な自分に女房が、「違うでしょ。一番つらいのは落ちた生徒たちでしょ。あなたが今一番しなくちゃならないのは、その子たちを励ましてあげることなんじゃないの?自分の実績がどうの、カッコ悪いこと言わないで。先生なんじゃないの。合格させることが先生の仕事なの?私は違うと思う。これからがむしろ本当の先生の仕事なんじゃないの?」。
典型的な亭主関白を自他共に認めている僕でも、この時の女房の言葉はこたえた。“きれいごと”と思われるかもしれない。だが、今も僕はこの時の女房に感謝している。口では一度も伝えたことはないが——。
「結果にかかわらず、君たちは僕の自慢の生徒である」。無責任かもしれないが、その時のつらい思いこそ、最高の結果なのかもしれない。自慢にはならないが、20年もこの仕事をしていると、つらい思い出こそが彼らにも自分にも財産になっている気がする。
世間では、今だに小学生の塾通いはひどい、かわいそうなことだという認識がある。僕は全くそうは思わない。目的を持って生きる青春を彼らが喜々として受け入れている現実がそこにあるからだ。甲子園で全力を尽くして敗れた者を笑う人間はいない。笑う奴らの人生こそ暗くて寂しいのだ。彼らは、たとえ味方のエラーで敗れても責めたりしない。「結果」が幸せなのではないことを知っているからだ。
受験生が百人いれば、百のドラマがそこにはある。彼らが手に入れるのは「ゴール」ではなく、「スタート」だ。「合格」は単純に幸せである。しかし、「不合格」という結果も彼らの青春には大きな財産である。どちらの結果であれ、彼らに敗北はない。彼らの青春を共有できる自分こそ幸せ者である。
【プロフィール】
安本 満
(やすもと みつる)
27歳より日能研の国語講師となり、14年間、主として千葉地区を担当する。99年「坂本龍馬になりたくなった」と、日能研を退職。熱い仲間と共に“龍馬”を設立、現在に至る。
安本 満(龍馬進学研究会主宰)
その子は、一緒に受けた2人の友人と最後の合格発表に来ていた。今まで発表のあった学校はすべて落ちている。一緒にいる3人の中で自分が一番できないことも自覚していた。「あったー!」1人の友人が顔をクシャクシャにして叫ぶ。「ない…」もう1人が信じられないふうで、くずれ落ちそうに嗚咽する。彼女自身は、自分の番号が【当然】ないことを確認しながら、涙が出ない自分にとまどいを覚えていた。
1人になった帰りのバスの中…。急にポロポロ涙が流れ出すのを彼女は止めることができなかった、と言う。「2人は本当に頑張っていたから泣けたんだ。それに比べて、2人と同じ所を受けたいと思っただけで、自分は全然勉強なんて怠けていた。結果がどっちになったって、というより落ちるとわかっていたから、ちっとも悔しくなかった。だから、わたし1人だけ泣けなかったんだ」。そう思った時、自分の情けなさに涙があふれてきた。「両親に何度言われても、ただうるさいなあと思うだけで、口答えばかりして勉強しようとしなかった自分——。本当に心から両親にごめんなさい、と思いました」。
彼女は、真剣に高校受験に取り組み、第1志望の県立千葉高校に合格。一橋大学を卒業した。
その知らせが届いた時、誰もが驚き、言葉を失った。彼はクラスの誰よりもできた。彼が開成中学に合格するのを疑う者はいなかった。2番の子も3番の子も4番の子もみんな合格した。しかし、彼だけは落ちた。僕は彼らと約束していた。「たとえどんな結果になろうと、必ず自分で報告に来い」と——。その約束を守るために、彼がこっちに向かっているとの電話をお母さんからもらった。泣きくずれて発表会場の地面のコンクリートに拳(こぶし)と頭を打ちつけたという。
「先生——」「おう——」。明るく自然に。「やられたか——」「はい」気丈に答える。「人間はなあ、やられた方が意味があることの方が多いんだぞ」「——」「ほかのみんなは合格した。おまえは入って当然なのに落ちた。ということは、神様がおまえは開成に行くべきではないことを教えてくれたんだ。開成なんかじゃなく、おまえを選ぶことができた学校こそがおまえが幸せになる学校だという意味なんだ」。唇をかみしめて、彼はじっと僕の目をみつめていた。
そこへ、開成に合格した同級生がご家族と共に御礼に来た。教室スタッフの応対で、それと悟った彼の目が泳いだ。「あいつにちゃんとおめでとうって言って来い!」「え?」「友達が合格したんだ。祝福してやるのは当たり前じゃないか」僕は彼を連れ出した。驚いたのは合格した方のご家族だった。彼は歩み寄って、友人の手を両手でつかみ、そして叫んだ。「おめでとう!おめでとう!おめでとう——!」つかんだ両手を激しく振った拍子に、彼の両眼から涙がほとばり散った。友人のご家族はその場で泣き出された——。
「心がバラバラのままでした。でも、もしあの時彼を祝福することができず、隠れていたなら、僕はもっとずっと不合格をひきずっていたように思います。あれが僕の原点でした。今、握手できた自分のこと、カッコ良かったと思います。先生はヒデェけど——」。
彼は今、海城高校に通っている。学内で3番と下らないそうだ。学園祭の実行委員長をやりながら。来春、彼は大学入試を迎える。(追記:今春〈2005年〉、見事第一志望の東大理Ⅰ合格。あの日撮った僕との“落ちた記念ツーショット写真”が6年間机の上にあったそうだ。)
僕の話——。その時の僕はこの世で一番不幸な顔をしていた。何人かの生徒の受験が思うようにいかなかった。周囲の期待とギャップのある結果に逃げ出したい気分になっていただけなのだろう。足を引っぱる俗物の同僚もいた。そいつを張り飛ばして八ツ当たりもした。(そいつは男のクセに泣きやがった。)
そんな時だった。家でも不機嫌な自分に女房が、「違うでしょ。一番つらいのは落ちた生徒たちでしょ。あなたが今一番しなくちゃならないのは、その子たちを励ましてあげることなんじゃないの?自分の実績がどうの、カッコ悪いこと言わないで。先生なんじゃないの。合格させることが先生の仕事なの?私は違うと思う。これからがむしろ本当の先生の仕事なんじゃないの?」。
典型的な亭主関白を自他共に認めている僕でも、この時の女房の言葉はこたえた。“きれいごと”と思われるかもしれない。だが、今も僕はこの時の女房に感謝している。口では一度も伝えたことはないが——。
「結果にかかわらず、君たちは僕の自慢の生徒である」。無責任かもしれないが、その時のつらい思いこそ、最高の結果なのかもしれない。自慢にはならないが、20年もこの仕事をしていると、つらい思い出こそが彼らにも自分にも財産になっている気がする。
世間では、今だに小学生の塾通いはひどい、かわいそうなことだという認識がある。僕は全くそうは思わない。目的を持って生きる青春を彼らが喜々として受け入れている現実がそこにあるからだ。甲子園で全力を尽くして敗れた者を笑う人間はいない。笑う奴らの人生こそ暗くて寂しいのだ。彼らは、たとえ味方のエラーで敗れても責めたりしない。「結果」が幸せなのではないことを知っているからだ。
受験生が百人いれば、百のドラマがそこにはある。彼らが手に入れるのは「ゴール」ではなく、「スタート」だ。「合格」は単純に幸せである。しかし、「不合格」という結果も彼らの青春には大きな財産である。どちらの結果であれ、彼らに敗北はない。彼らの青春を共有できる自分こそ幸せ者である。
【プロフィール】
安本 満
(やすもと みつる)
27歳より日能研の国語講師となり、14年間、主として千葉地区を担当する。99年「坂本龍馬になりたくなった」と、日能研を退職。熱い仲間と共に“龍馬”を設立、現在に至る。
by chugakujyuken
| 2005-09-25 10:54
| 塾屋さんのホンネ